「なぜ出会うのか」悲哀の思索家
亀井勝一郎
1907年(明治40年)生まれ。東京帝国大学文学部美学科中退。1928年、社会主義活動を理由に治安維持法により検挙。釈放後、1935年『日本浪曼派』を創刊。古代・中世の日本仏教への関心を深め、とくに聖徳太子や親鸞の実像を追い求めました。独自の人間原理に根ざした人生論、宗教論、歴史論などの著作を多数出版し、ベストセラーを記録しています。
聞くべき言葉も、語るべき言葉も、
これすべていのちの悲願である。
亀井勝一郎
この世に生まれ、何かに導かれるように生きる私たち。出会いは偶然でありながら、求めずして得られるものでもありません。「人間の心の底にはかならず先祖の亡霊が眠っている。」人世に漂うふしぎの叡智、千年の歴史を背負って人間は生きています。背後にあるものに支えられて生きる私たちは、その音声に鈍感であってはならないのです。
出会いと別れ、そして再会
偶然か、それとも必然か。現世で出会い、人生の時間を分け合った宿縁。幽明境を異にした今でも、故人の声はすぐそばで生き続けています。交わした言葉、ともに見た景色。思い出を忘れないでいることは、故人その人の願いでもあります。なぜ出会ったのか、その答えを探す旅に出かけませんか。
思い出供養 →第五章