人が人を育てること、それが教育です。そこには人生でもっとも切実なものが含まれていなければなりません。しかし、人生で切実なことは教科書では教えることができません。型にはめ込むような教育では相手の心を掴むことすら難しい。それを誰よりも知っているのは教師自身でしょう。
私たちは新しく何かを「知る」必要はありません。個性を伸ばそうとする必要もありません。思い出すのです、そのためには沈黙しなければなりません。自らの軌道にのって真理の根源にさかのぼっていく。その聖なる強化を育てるところの教育を人間の手で歪めてはなりません。
自ら育てるべく努力させること、教育に許されたのはそれだけです。同じ場所に生まれ、そして同じ光を求めあう存在として歩き出すよろこび。それはちょうど、何万光年という光の時間のあいだに生まれ、消えていく星たちに似ています。刻々と迫りくる人生に対して、限りある答えを示していく。その純粋な交信のもとに教育の永遠の意味は出発したのです。
歴史が生まれるよりもずっと昔からこの記憶は繰り返されてきた。それを知ることで私たちは巨大な遺産を引き継ぐことができます。愛とは何か、なぜ生きるのか、答えはありません。私たち自身が大いなる記述の一部であるとすれば、そこに故郷があるのでしょう。真実に生きたい、それだけの願いの中に、数えきれないほどの悲しみが散らばっています。
人生は自ら切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道です。そして教育とは心の証明です。永続的な意志の力が、何をめざして進んで来たのか。過去の精神が今なお私たちの内に生きることを知ったとき、はじめて教育はその実現の緒についたといえるでしょう。
不滅の生命を得る、精神をそなえた人間という存在にだけ可能なことです。天地宇宙を背景として私たちはどのような星座を描くのか。ことばは魂の音声として生き続け独自の点滅になり得ます。
自ら思想を書き残し、未来の呼び声となる。それが私たち人類に映し出される、もっとも価値ある生き方なのです。
伝承という新たな時代