技術面のスペクトルの発達で人間がものを考えなくても生きて行ける時代がやってきます。しかし、世の中が便利になることと人間が幸せになることは別の問題であるという現実を忘れてはなりません。なぜなら幸せとは一種の観念です。考える力が伴わなければ人間は幸せになることはできません。
考える力とは何か。この問題をめぐって多くの論争が行われてきました。いうまでもなく人間は精神的な存在です。その精神的な存在である人間が、悠久な時間の中で基盤を築くためには実存性を高めるための教育が必要です。それはひとりの人間を通して、人類の心全体を育てる努力によって行われます。
そもそも生きるとは何なのか。そのことを明らかにしないまま既存の教育は行われてきました。目と耳をふさがれ、経済的な目標をめがけて一斉に駆り立てられる人間の一生は、かつて先人が夢見た世界と異なります。人間の人生は一度で終わらず、魂に区切りはありません。この当りまえの事実を見落とした教育はあらゆる意味で失敗に終わるでしょう。
いつから教育は、心を問うことをやめたのでしょう。その根本的な誤りが、世代から世代へと受け継がれています。人間の才能を誤って導くこと勿れ、それが教育に与えられた唯一つの掟でした。その掟を守れなかった罪を、私たちはいま目に見える形で受けているではありませんか。
大切なのは学力ではありません。目に見えないものに支えられ、何ものかの手に導かれてここにいる。その謙虚さと体験性に「教育」の出発点があるのです。人間としていちばん尊いものは何か。この道を踏まなければ、人間はいつまでたっても目的地に到達することはできません。
もっとも痛切なものを前にしたとき、私たちは言葉を失います。その重みを忘れた瞬間に私たちはまた過去と同じ過ちを繰り返すでしょう。その真剣さを伝えていくのが教育なのではないでしょうか。
歴史は過去ではなく、夢には続きがあります。偉大なる先人の呼びかけのもと、真の教育とは何か。その永遠の灯火に向かって、新たな時代のあけぼのを歩む心でありたいと思います。
歴史から夢の続きへ